ヨーロッパぐるぐる記(後編 そのⅡ)

前編:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20200929/1601344231

中編:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20201001/1601537380

後編1:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20201027/1603806954

後編2:(本稿)

 

宿の問題点まとめ

 さまざまな街、そしてそれぞれにある宿で10回あまりの夜を過ごしたが、旅費の節約のため、宿泊費はできるだけ抑えようと試みていた。1泊あたりの目安は5000円である。欧州のホテルの相場は日本とあまり変わらないように思うので、5000円のホテルは安かろう悪かろう、ということになる。ここまでのお話でも少しずつ述べてきたが、新たに明らかにすることも含めて、5000円という安価と引き換えに押し付けられた色々な問題たちをここで簡単にまとめよう。

アムステルダム(2泊)

  • 狭い
  • 狭すぎる
  • 脱衣所がない
  • 全体的に不衛生

ケルン(2泊)

  • 部屋にトイレがない

モ=サ=ミ(1泊)

  • 最寄りのバス停から徒歩40分

パリ(2泊)

  • 部屋が傾いている
  • タオルが足りない
  • タオルが汚い
  • 大麻を吸う客が宿泊している

 いっぽう、ロンドンの宿は中心街から離れていることを除いて目立った問題はなかった。なお、観光において複数泊するホテルと中心街の往来に1時間半も所要されることは問題である。

 

11月2日:街(ロンドン編Ⅱ)

 この日の我々は計画的である。回るべきところを綿密に見て回ったので書くことも多い。あまり興味のない方は写真だけでもご覧になりこの日の記述を端折ってもよい。計画というものは次の日には崩れるものだ。

 例の長時間をかけてロンドン中心街までやってきた我々だが、最初の目的地はグリニッジ天文台となっていた。大学のゼミで地球科学を勉強していた僕は、かなり前のめりになって乗り込んだ。地球上での座標を決定するための"元"基準がある地であるので、そのとき地球測地オタクだった僕にはめぼしいスポットであったのだ。"元"と申したのは、何を隠そう、GPSではグリニッジ天文台にはもはや本初子午線は通っていないという理由による。イギリス語が読めるならば詳しく解説されたドキュメント(https://link.springer.com/article/10.1007/s00190-015-0844-y)を参照するのがよいと思う。

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"The observatory's non-zero longitude is widely noticed" (Malys 2015)

 簡単にいえば、科学の発展により、ここを正確に経度0°にすると都合が悪いとわかってしまった。都合の悪さを解決するために本初子午線はグリニッジ天文台から東に約102m動いた。動いたというよりかは、計算の結果、天文台の経度をゼロとすると色々な方向に支障が出るため新しい経度0°線を設定した、と表現したほうが正しそうである。そういう経緯がある以上、いまグリニッジ天文台でありがたがられている線を右へ左へまたいで遊んだところで、その活動には大した意味はないように見える。しかし、時刻や測地の基準としてひじょうに重大な役目を負ってきたこの"線"の歴史に対しては、僕も感銘を受けるところがあった。

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102m移動してからこれをやりたい

 そんなことを考えて僕が見物に充分な時間を割いている一方で、大きく興味がなさそうなI君は早々に愛想をつかして併設されたカフェで暖をとっていた。この日のロンドン市は雨が降ったりやんだりする天気で、日照が皆無だった。僕もそこで身体をあたためて、午後の観光のため体制を整えた。ついでに祖国でお土産を念願している妹のために本初子午線マグカップを購買した。

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本初子午線Tシャツズ

 グリニッジ天文台からちょっと北に移動したところに、大きめのショッピング施設がある。この場所に我々は昼食を希求した。あまり食欲をそそらない飲食店が複数ならぶなか、エスニック弁当屋のような店に入る。アイスクリーム屋でアイスクリームを選ぶがごとくライスやおかずを選ぶことができ、食事が規定の弁当箱に盛り付けられて提供される。選択の現場でも感じていたが、あまりおいしそうに見えない。僕は早くも本国の松屋の牛丼が恋しくなっていた。

 満足感の小さい食事に我が腸が疑義の念を訴えてくるが、それを下目になだめながら同モールをふらふら物見していると、"Superdry 極度乾燥(しなさい)"というファッションブランドの店舗が目についた。海外旅行先でよく見かけるが、このブランドはイギリス発であるらしい。奇想天外な日本語がプリントされた服を売っていることで有名である。実はグローバルに評判であり、世界の大都市にはもれなく店舗が展開されていると考えて差し支えない。のであるが、日本には店舗はない。僕の考えであるが、ある既存の酒類の商品のためだ。I君はそういう事情を考慮に入れて、このブランドの服を土産として買おうとしていた。時間をかけて物色していたものの、僕は彼がけっきょく買ったのか買っていないのかは把握できていない。

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おう

 …この世にWorld of Warshipsというクソゲームがある。シンプルに言うと、軍艦を操作して、敵チームの船を攻撃するゲームである。射撃レートが高い低いとか、装甲が厚い薄いとかの理由で、艦にも強弱がある。とうぜん強すぎる艦や反対に弱すぎる艦がないことが好ましい。しかし"軽巡洋艦Belfast"は強すぎる艦として実装された。課金によって手に入る艦として導入されたためか、おそらく購入者とのトラブルを防ぐ目的でナーフ(弱体化調整)が入ることもなかった(いまは環境の変化で全盛期ほどの威力があるわけではない、らしい[要出典])。この、ゲームのクソゲーム化に拍車をかけたようなBelfastは現存している軍艦で、いまはロンドンで博物館として公開されている。このゲームをプレイすることがある僕は観光に飛びついた。

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観光地で撮ったような写真

 外部の兵装はもちろん、内部の様子もルートにそって巡回すれば事こまやかに探求することができた。しかし事こまやかに記述するのは少々めんどうだから、写真だけ並べることにする。写真に添える一言は欠かさないので赦してほしい。

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ドラクエならば進捗をセーブできる

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6インチ砲弾(のレプリカ) ちなみにSAP弾である

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左端にひそかに映り込んでいるのが倫敦塔

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ボフォース 40mm連装機関砲という名前の連装機関砲

 天気が晴れていれば、具合の良い写真が撮れそうなものだが、あいにくの曇天であった。お土産としてグッズを求めようと思ったが、Belfastの記憶を形に起こしたものとして予想の範疇を飛びだして訴えてくるものは見当たらず、買うことはしなかった。

 次の日は2人で大英博物館を回る予定である。I君はそこでツタンカーメン(トゥトアンクアメン)のマスクを目にかけることをたいへん所望していたのだが、かのマスクはこんな国にはない。エジプトのカイロ博物館かどこかに在中しているはずだ。I君はお目当ての代物が存在しない事実をイギリスの地で初めて知って衝撃を受けたように見えた。

 しかしここでファラオが悪戯を仕掛ける。ロンドン内のとある美術館で、ツタンカーメン展が開催されているという趣旨の広告が、我々の眼前に飛び込んできたのである(https://www.saatchigallery.com/exhibition/tutankhamun__treasures_of_the_golden_pharaoh)。広告には例のマスクの写真が大大と掲載されている。題して、"ツタンカーメン -ファラオの黄金の秘宝-"。ふだんはこの国にない黄金のマスクが、我々がイギリスを訪れているというこのタイミングで、見られるということらしい。I君は僕のとなりで興奮していた。入場料はひとり4000円。それを聞き、倹約家かつ当時大学生の僕は、高いと思った。くわえて、国宝レベル、いや世界的な秘蔵が海を渡って侵略と略奪のふるさとに回帰するとなると、もう少し評判になって然るべきとも考えた。I君が横でチケットをたちどころにオンライン購入しようとしているが、ひるがえって僕の中では行かない理由がひとつひとつと積み重なっていき、結論としては、僕の腰は地面をがっしり踏みつけて離さなかった。I君が展覧会に行っているあいだは、僕は散歩なりをして夜の町並みを楽しむことに価値を見出した。

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I君が撮った広告の写真 ブレすぎでしょ

 戻ってきたI君は、案の定興奮していた。しかし理由が想定と違うようだ。なんと、ツタンカーメンのマスクがない。ツタンカーメンのマスクがないということは、ツタンカーメンのマスクを見ることができなかったということである。実際のところ、展覧会はツタンカーメンの副葬物を並べているものであり、黄金のマスクはエジプトにあったままであった。では我々が目撃した広告のマスクはなんなのか。あれは別人の小規模なマスクである。そのしょぼいマスクはきちんと展示されていたらしいので、我々(特にI君)は、勘違いした人間を釣ってやろうという運営の意図、そのような意図があったとは断言できないが、に墜ちた形になる。僕の予感は的中してしまった。

 I君が失意のさなかにある一方、僕はどうしても用を足したくなったが厠を見つけることができなかったため、そばにあった教会に駆け込むことになった。中では集会のようなものが執り行われていた。受付のおばさんに、いかにも厳しそうな表情を用意して"Can I use restroom?"と訊くと、やれやれという顔でトイレの場所を指し示してくれる。トイレの場所とツタンカーメンのマスクに迷える子羊たちに救済を施せよ。

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ラグビーW杯における南アフリカの優勝を伝えるイルミネーション

 例の時間を所要して宿へ帰った。悲しいかな、欧州にいながら夕食は廉価な中華のテイクアウトである。スチロールの箱に入ったエビの中華焼きそばから、旅の味を感じる。アメリカ合衆国にいったときに時間の制約を受けて安価な中華テイクアウトに頼った以前の経験が想起された。

 

11月3日:一番の資産は健康となり

 あさ、I君が体調が悪いと言い出した。僕は当初、「まーたまたあ」とぞんざいに思っていた。けれども、2人で洗濯をしに外に繰り出したのもつかの間、彼が今にも死相に変わりそうな顔色で宿へ戻って行ってしまったので、僕もいよいよ本当に具合が悪いのだなと思うようになった。僕が洗濯を終えて宿に帰ると、はたしてI君は駄目そうな様子である。本国からもってきた海外保険の書類の、日本語が通じる病院一覧のページをせわしくめくっているのを見て、僕はやはり本気だと思った。とても観光になどいけない、おれは病院に行くんだと言うので、いったんここで解散することになった。エジプトのファラオも心配してしまうではないか。いかにも急な展開だ。

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宿付近から 遠くに"ロンドン"が見えるなあ

 I君が予定と違って病院に行っているあいだ、僕は予定通り洗濯を済ませて大英博物館へ足を運んだ。ひとりの訪問である。2人以上でモノに取り組んで、対象についてああだこうだ言い合うのは様々な考えに触れられるので好きなのだが、今回はしようがない。ロゼッタストーンやらラムセス二世はじめ大小さまざまなミイラたちと4日ぶりの再会を悦んだ。病床のI君のためを思って本博物館のお土産を代行して買ってあげようと企画したが、僕が推していたネコミイラのブックエンドは却下されてしまった。だから荷物は増えなかった。

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フィルター(社会性にゃ~ん)

 博物館から出たようなタイミングで、I君から、中心街に新たに宿をとったから、ホテルから自分の荷物を持ってきてほしいという連絡があった。病院にきたものの、病身に鞭打って例の辺鄙な場所の宿から荷物をとってくる元気がないとみえた。伺うと体温が39℃近くあると申してくる。祖国から時差9時間ぶんも離れたこの地でわざわざ39℃の高熱を出すI君。なにか憑いていると思わざるを得ない。夕暮れ時にホテルに帰ってきた僕は、大量のI君の荷物へのアタックを始めた。彼は所有品をゆうべ存分に展開して散らかしていたので、大いなる整理が必要なのであった。

ロンドン、帰路、一人、満員バス、雨

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こんなに持ってけないよ、と言うために撮影した写真

 荷物の整理にはたいへん骨を折った。彼は数万円分の酒類アイラ島で購入しており、それら大量のアルコール液と対面した僕はまず途方に暮れた。自分の荷物としてはリュックサックとスーツケースが一つずつある。I君の荷物構成も同様であったはずなのだが、例のお土産の酒類のおかげで大きいバッグ(手さげ袋)がひとつ増えることになった。したがって、この2人の貨物を身に着けて運ぶと、胴体の前後にリュックサックをまとい、両方の手それぞれでスーツケースを引くという恰好になるあげく、それでもって数が増えたI君のお土産バッグを持ちあぐねる。首か額に掛けろとでも言うのだろうか。荷重も考えて、なおもって僕は楽しまなくなった。身体一つで運搬するにしては負担の大きい量と重さである。

 僕はホテルのフロントへ向かっていった。すべてをI君のもとに即日配送することはできないので、事情を話せばフロントで彼の荷物を預かってくれるのではと考えたためだ。フロントのお姉さんと僕との間で、おおよそ次のような会話が繰り広げられた。

「友達と2人で宿泊しているのですが、その友達が病気になってしまって。彼はいま病院の近くのホテルにいます。回復後に彼にとりに来るように言うので、荷物を預かっていてもらえませんか。(2分ぐらいかけて言う)」

「$%*#@! $%*#@! $%*#@!」

「もう少しゆっくりお願いします」

「いいですよ、荷物カードを発行するので、そのカードを彼に渡してください。」

「そのカードと荷物を交換するということですね」

「$%*#@! $%*#@!」

「もう少しゆっくり」

「そういうことです。お預かりする荷物と交換します。」

「ありがとうございます」

 そんなサービスなどないからタクシーを使うなり自分で運んでくれ給へ、という返答を想像していた僕は、当然の対応と言わんばかりのあまりの快諾に驚いた。人情のあたたかさに触れた。荷物の問題はこれにて解決したので、あとはI君に荷物カードを渡すだけである。彼の荷物をカバンや入りきらなかったものは紙袋へと詰め込むことにして、残りは次の日の自分が間違いなく処理してくれるだろうと考え、僕は会心の笑顔で床についた。

 

11月4日 越境

 たとえ荷物の整理に要する見込みの時間が1時間だとしても、その作業をするために午前中いっぱいが与えられたとしたら、その全てを使い果たすことになる。そういう理由で昼前にようやくホテルをチェックアウトした僕は、病床に臥しているI君の顔を伺い、貨物をデリバリーするべくバスと地下鉄を乗り継いだ。

I君の手荷物だけ持って乗り継ぎ

 発熱は苦しくない程度に落ち着いたというI君に新ホテルの設備をひとしきり解説された。こちらのほうが中心街に近いし、内装も奇麗ではないか。一晩で落ち着く風邪とひきかえにこのような善良なホテルを保険で使えるなら結構なことだ。さっそく豪勢な生活を始めているI君から備え付けの紅茶や菓子をわけてもらった。少々の滞在ののち、僕はホテルの荷物カードを渡して次の目的地へと舵を切った。

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スコットランドは独自で紙幣を発行しているという情報

 このあとは、正規なら、アムステルダムに移動し成田への飛行機に乗っかる予定であるが、これは崩れている。I君は保険会社が手配したロンドン発の便で何日か後に帰国するらしい。というわけで解散ということになって、再会の地は日本である。帰りが独りというのは慣れたもので、I君は一緒に山形へ免許合宿に行ったときもひとり卒業検定でやらかしてしまい延泊しているため、そのときも僕は独りでの帰京を余儀なくされていた。

 アムステルダムへの移動手段であるが、夜行フェリーを選択していた。僕はフェリーが出航するハリッジというロンドン近郊の港町へ向かっていった。入国は2人で電車、出国は1人でお船

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お姉さんの頭がいい感じに覗いていたので風景の一部としてこっそり

 時間を持て余してハリッジに到着したが、これは腐っても海外の港町なので、観光でいくらでも時間を消費できるだろうという考えのもとであった。しかし得られた知見は、日本でもなんでも田舎で暇をしのぐことは困難ということである。僕はすぐに町の小ささと、歩けども視界に入る街並みが不変であることを察した。オックスフォードのはずれのほうも同じような光景が広がるばかりだったので、全土にわたって気候較差の小さいイギリスの田舎の様子を帰納的に導いて想像するには十分だった。いっぽうこの感想を抱くに至ったのは、部分的な一人旅だったからという理由付けもできる。ほかに会話できる人がいれば、いた分だけの気づきを享けられたのかもしれない。

港湾を

 そういえばこの国に来てからフィッシュアンドチップスを食していないことに気が付いて、このタイミングで実食することにした。小さい店に入ると同年代の女子が店番をしている。フィッシュをM、チップスもMで注文しようとした直前に胸中がざわついてチップスのサイズをSに変更した。そして――

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たんぱく質、炭水化物、脂質、塩分

 多い。半分食べるまでは胸裏いけるという感に溢れていたが折り返してからは厳しい。揚げ物回廊から脱するには炭酸飲料を手に掛けるしかなく、これも腹中で炭酸ガスを開放するため、胃の容量を圧迫する。僕のひとり前の男性客がフィッシュもチップスもSサイズで注文していたのは嫌な予感でもなんでもなくただの教戒だったのだ。なお、Google mapの評価どおり味は良く、揚げ物2品を1/4ぐらいの量にして飯と汁をつければ英国風フライ定食としていい塩梅になりそうだなと感じた。

 国境を超えるので、パスポートや手荷物検査は入国と同じようにやった。経て、23時発の便に21時には乗り込める。到着は8時になっている。伊豆大島に行ったとき(この旅行の前年)のフェリーは同じく23時発で到着は5時だったため、日の出早々叩き起こされた。今回はずいぶん朝に優しいジャーニーデザインではないか。

 搭乗開始に気づかずロビーでぼうっとしていたのを係員のおばさん達に一笑いされてからボードオン。

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2人だったら狭かったかもしれない

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隅っこにカジノもあった

 夜間、乗客がいろいろ遊べるようシアターやゲームコーナーがあったが、映画やゲームはインドア派の遊びである点は置いておいて、僕はインドア派なので部屋で睡眠に勤しんだ。

 ちなみに、船はアムステルダムには到着しない。わずか南方のロッテルダムという街に着く。東京ではなく横浜に着くようなものである。電車で移動する必要がある。

帰りもよろしく

 そこからはもう多くを語る必要はない、偏西風に乗っかって日本まで来るだけだ。行きはこの恒常風に逆らうので11時間を要したが、今回の片道は9時間で済んだ。機中、隣の席のオランダ人のあまりの着席態度の悪さについ軽いクレームをつけてしまった。英語で文句を言えるぐらいまでの精神を自然と身に付けていたことには我ながら吃驚したが、肝心の内容が微妙である。ダラダラ御託を並べたあげく、"So, what do you want?"とカウンターを返されて怯みかけた。しかし僕の主張は領域侵犯をやめて欲しい部分だけだったので、その一点を貼ることで事なきを得たものだ。その後は軽い雑談をするなど円満だったので安心してほしい。

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雲の上を飛ぶので物凄い星空なのだが、所詮スマホカメラである
(光っているのは翼の先っぽについているアレ)

 帰国して松屋に行ったが、あまりの美味さに感動を抑えられない。この絶品さ加減に味噌汁までついてわずか2.7ポンドである。しかもチップが不要ときている。普段は学生と草臥れたオジさんしかいない店である。しかし松屋の牛丼はグローバル視点でみてもうまい。

 

エピローグ

 帰国した翌々日から非常な腹痛と高熱に襲われた。心当たりはある。I君…

 

あとがき

 旅行の総括としては、よい行き当たりばったりを体感できたと思っている。

 この旅行記を前編からすべて読んだら28,000字くらいになる。文庫本一冊は100,000字くらいらしいので、その1/3にも満たない分量だ。ふだん長い文章などmdファイルの手順書ぐらいしか書かない(だから全体を通して、"何が起こったか"は十分だが"何を思ったか"の記述に欠けるふしがある)から、飽きて中座してしまったりして苦労はあった。その苦労を訴えるにしてはこの3万字弱は大した成果でないように見えるが、文章を書くときは、脳の、読むときに使う部分でない場所を使っているように思えるので、よいことだ。実際にその未踏の地を充分に開墾できたかはさておき、新天地があることをこの身体で確認したことには一歩すすんだ実感がある。人もたくさん読んでたくさん書いてみるのがいいと思う。