ヨーロッパぐるぐる記(前編)

前編:(本稿)

中編:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20201001/1601537380

後編1:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20201027/1603806954

後編2:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20210926/1632632317

 

プロローグ

I君「行くならやっぱりヨーロッパじゃない?」

僕「まあね」

 

本章

 2019年の10月末から11月初めにかけて、ヨーロッパにいってきた。男2人旅。オランダのアムステルダムを行き帰りの窓口にして、お電車やお車、お船をアシとして2週間ぐるぐる周遊した。

 コロナ禍でとても海外旅行など行けないトレンドとなっておるので、今のうちに旅行の振り返りでもしようと思い立った。文章ばかりではいろいろと伝わりづらいと思うので、写真も多めに掲載しようと考えている。

 

10月22日:着弾

 オランダ航空を利用した。移動が偏西風に逆らう方角へのため、帰りは9時間ほどのフライト予定であるものの、行きの所要時間は11時間だった。飛行機の中は寒かったので、終盤では毛布にくるまって男2人で震えていた。機内の照明は紫に半身突っ込んだような青さで燦燦とし、その光に照らされた紺碧の機内食はどうも美味しく見えない。味は平凡である。

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撮り初めの一枚

 アムステルダムには現地時間の夕方に着陸して、対応が海外式(ぞんざいともいう)のおじさんの送迎によってまずは宿に向かう。人間、1日24時間の半分近くはねぐらで過ごす。したがって旅において宿は重要な内容である。初手の目的地が宿屋とあって、このとき小さくない高揚とともに秋節の幹線道路の車窓を眺めていたものだ。まずは荷物を置いて軽く作戦会議をしたのち、夜の繁華街に繰り出すことにしようというのもこのとき車内で決定した。

 我々が到着すぐ目の当たりにした肝腎の部屋はとても狭い見た目をしていた。事実にも見た目どおり狭いので笑いがこぼれた。古い客船をリユースしたもので、船室(使用当時も客室だと思われる)がそのまま現在も客室として提供されており、窓からすぐ水面が捉えられるなどちょっとした非日常を味わえるのだが、いかんせん狭い。本当に2畳くらいしかなかったかもしれない。ここから2晩、2人でこの1室を使うことになる。ほかに、シャワー室はあるが脱衣所がない。廊下で着替えるしかないため、人が通りかかったら生まれたままの姿を露呈することになってしまう。女性客もいらっしゃったが彼女らはどうしたのだろうか。

"宿泊施設"が並ぶ

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お宿のマップ(客室階)

  アムステルダムの夜の繁華街といったら風俗店街ということになるのだろうか。僕は風俗店には興味がなかった(というかご来店するのは怖くないか)ものの、売春が条件付きで合法化された街の風格は、 魅力に感じさせるものがあった。ただでさえ夢幻的なネオン街の夜景なのに、それを成り立たせるひとつひとつのネオンは風俗店のものであるという事実が、自分の「普段と違うものを求める心」をいい塩梅で刺激すると言えばよいのか。日本ならこのようなお店はここまで蔓延れない。

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夜のアムステルダム 発光は風俗店のネオンによるものである

 視覚的にも惹きつけるものがあった夜のアムステルダムだったが、嗅覚的にもセンセーショナルだった。大麻だ。もちろん大麻のにおいなど生まれてこのかた嗅いだことなかったのだが、ひと嗅ぎするだけで「なるほど大麻に決まっている」とすぐに判別できるほど特徴的な香りが街のいたるところから醸し出されていた。大麻を嗜める店は通称「コーヒーショップ」と呼ばれる。

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草の店のサービス券 例の宿にて配布

 ひととおり散策したのち、上陸後初の夕食を嗜んだ。意味をどうにか会釈しようと侃々諤々オランダ語のメニューを見る会を開催していたところ、優しい店主が英語のメニューを持ってきてくれた。それぞれ1つずつバーガーを注文し、おつまみ感覚でムール貝をオーダーしたが、運ばれてきた料理をみて驚愕した。風呂場のイス大の大きな鍋にムール貝が盛り上がって運搬されてきたためである。完食できないだろうと一瞥で悟ったが、食物を破棄させることもできない。かつて体験しえなかった"合法"に若干の圧迫を感じて1つはずれた路地を敗走していた我々、出迎えてくれたのがこの店である。安寧を希求して敷居をまたいだ過去がある。困難でも注力はできるだろう。

 惜しみない努力を注ぎひとまずムール貝を平らげた。のち店主に申し訳なさそうな顔を見せながら、食べ残しをお持ち帰りした。ごちそうさまでした。

UNGA

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僕は酒が弱い

 

10月23日:街(アムステルダム編)

 前々からこの日は街の観光と決めていた。パンやフレークを自由に食べてよいというありがたいスタイルの朝食を摂って、外出。この街は自転車だらけなことで有名なため、その自転車イズムを体感しようと、宿の最寄りのレンタルショップで自転車を拝借して、アムステルダムを一周しにかかった。パスポートのコピーをとられたので、事故を起こしたり鍵をなくしたり、どこかを破損したりしてはいけない。パスポートのコピーをとられなくてもしてはいけない。

自転車の街

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FPS

  I君の強い要請によってハイネケンの体験型ミュージアムhttps://www.heinekenexperience.com/en/)を訪れたり、僕の軽い要請によって街を張り巡る運河をボートで回ってみたりした。ボートは1時間のレンタルだったが、タラタラしていたら所定のコースを走破するのに1時間15分くらいかかってしまった。しかし追加料金は徴収されなかった。

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オンザボート

  いま思い返すと、ハイネケンミュージアムでビールを飲んだあと(当然飲むことになった)に自転車に乗って再び街に繰り出す行為は、酒気帯び運転にあたるのではないか。海外でお縄にかかったらいろいろな意味でお了いになりかねない。この街の観光で同様の行動をとろうと考えている方は、この点を考慮するのがよい。

 夕方はアムステルダム国立美術館に寄った。知っていた作品はレンブラントの「夜警」。芸術には疎いので雰囲気を体感するように館内を回ったが、オランダというだけあって、長崎の出島の模型があるなど、江戸時代に日本とのかかわりがあったことを示す物証がいくつか見受けられた。

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KAWAIIじゃん

 日没後は前夜に倣ってまたもや”風俗街”へ足を向ける。I君が”ご来店”しに行ってしまったため僕は散策して帰宅(帰宿?)。15分€50って実際コストパフォーマンスを考えるとどうなのかわからないけど、ちょっとリスクある行為だと思う。体験後の彼のレビューを簡潔に記すと、「全然気持ちよくなかったうえ、追加プレイにはさらなる課金が必要だったので退散した」とのこと。どうやら最初の15分だけでは本番まではできないらしい。どうせそんなとこだろうとは思っていた。

 そしてこの夜、僕は人生史上最悪に不美味なパスタを食すことになる。海外旅行の際、現地のスーパーのお惣菜コーナーに日本ほどのレベルの高さを期待してはいけない。

夜にしっかり卒論の作業(暗い)

 

10月24日:どうせならベルギーも行くよね

 実害のないようなそぶりを見せながら、的を大きく外れた主張をこちらが拒絶しても執拗に貫いてくる状況のようなパスタの味であった。前日の夜に食したそんな麺の味がまだ脳内に浸透している状況を唾棄しながら、日の出前に部屋が狭い宿を出発した。24日の宿はドイツのケルンに予約していたが、道中ブリュッセルで遊ぶことを企画しており、そこに時間を割きたかったため、お早い時間に出発することになっていた。ここの移動手段は電車である。

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朝の5時 すごく頑張って起きた あと寒い

 9時にはベルギーの首都、ブリュッセルに到着していた。

 …この時間に到着してなにをしようというのか。良い意味で勤勉でないヨーロッパの風土、店はまだどこも開いていないし、早起きの反動でお腹だけやたら空いていくばかりだ。調べると、昼食の目途を立てていたレストランはそれでも10時に開店するとのことで、そこへ開店し次第ラッシュすると決意し、1時間、街を散策することにした。思い返すと、訪れた場所のなかでブリュッセルがもっとも「日本人が想像するヨーロッパ」にそぐう見た目をしていたように思う。柵のある窓が石畳の通りに並ぶ、あの誰でも想像しうる”ヨーロッパ像”がそこにはあった。そして、小便小僧は小さい。途中、教会横の小便所でうんこを発見したとI君から報告があった。でかしたと言えばよかったか。

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開店待ちの情景

 小便だのうんこだのの話があったが、忘れて無事に昼食(AM10時)にありつく。アムステルダムでその美味さを覚えたので、ベルギーではご当地料理で名物と名高いムール貝のワイン蒸しを食したが、やはり美味い。日本で同じ料理を注文したらせいぜい5個くらいが皿に置かれたものが運ばれてくるだろうが、こちらでは違う。両手鍋に山盛りになったものが登場することは経験済みだ。おつまみとしてではなくメインデッシュとしてこの料理を味わえる。美味い(2度目)。そしてヨーロッパ3日目にして、この土地では大抵の料理には自動的にフレンチフライが付属するということを両者このあたりで察しはじめる。

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いただきます €14くらいだったかな

平日の昼から路上で魚を肴に飲酒する群衆 this is ヨーロッパ

 中心街でバイト先の薬局と大学の所属ゼミへのお土産のチョコレートを買い、ケルン方面へ向かうお目当ての列車を待つまでの間に、飲酒。僕はとてもお酒が飲めるタイプの人間ではないのに、石畳にテラス席が並ぶエキゾチックな雰囲気に呑まれて、つい魔が差した。ビールのくせに度数が9%くらいあったので、たちまち泥酔してしまった。グラス1杯のビールを、全部飲んだのか、捨てたのか、代わりに飲んでもらったのかの記憶は定かではない。噂によると酩酊中の僕の奇行がI君のカメラフォルダにメモリーされているらしい。

繰り返すが平日からオッサンが道端でマカロンなどを食している

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僕によって撮られた写真 ここまでは飲んだという証拠でもある

 ケルン方面の電車内で酔いから醒めた僕を片割れとする一行であるが、事件はまた起こった。とある駅での3分乗り換えに失敗したのである。なぜ初めて足を踏む土地で3分の猶予しかない乗り換えを旅程の前提に考えたのか、当時の思考はよくわからないが、とにかく乗り換えに失敗してWelkenraedtという駅名標がある地で1時間待ちぼうけという事実だけがそこに置いて行かれていた。待つしか行動の選択肢はなかったが、ここはどこなのかと疑問に感じる気持ちと、暇になってしまい"To Do"を求める気持ちが融合し、再び魔が差して、我々は同じ待合室にいたおばさんに話しかけるという行動をとった。ところが一向に意思の疎通ができない。どうやら"Do you speak English?"ですら通じていないようである。ここがドイツ-ベルギーの国境付近であろうことを鑑みて、google翻訳で入力をドイツ語に変換したところ、これで初めて意思の疎通が可能となった。この間接的な対話にて判明したのは以下の点。

  • この場所はベルギーに属する
  • 彼女はドイツ語しか扱えない
  • 彼女も同様に我々が乗ろうとした列車に遅れ、待ちぼうけを喰らっている
  • 彼女の目的地はドイツのAachenという街
  • 次の列車を待たず、Aachenにいる夫に車で迎えにきてもらうことにした

文字に起こすとこれっぽっちと感じる情報量だが、連携に30分も費やした。文明の利器に感謝を。この会話は、彼女の夫が駅に現れるまで続き、我々は最後に握手をしてサヨナラを告げた(身振りで)。

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最果ての地(感想)、Welkenraedt(ウェルカンラト)

 最果ての駅で1時間待ったので、予定と比べて1時間遅れてケルンに到着した。ここで確認しておくが、ヨーロッパの公衆トイレは課金制である。ドイツでは、便所代がベルギーまでの€0.5から€1に騰がったため、我々の小便やうんこに倍の責任が問われることになった。夕飯を食べたが、ピザのサイズが大きく、完食できずお持ち帰り(2度目)した。継続して学習を行っていきたい。次いでホテル着。宿主の話す言葉がとてもeasy to understandなEnglishでhelpful for us。ここまで、ネタには事欠いていない。

渋谷のよう

 

10月25日:街(ケルン編)

 次の日から着るお洋服がなくなってしまったので、コインランドリーへ行くことになった。家事的作業に観光の時間が割かれるのはもったいないと考え、この日も早朝に起床することとなった。そんなこの日の我々をパワフルにサポートするお友達と出会ったのはホテルを出てまさに徒歩でコインランドリーに向かおうとしていたときだ。移動をサポートする友達など遠まわしな言い方をしたが、端的にいえば電動スクーターだ。料金システムは従量課金制で、スマホアプリにクレジットカード情報を登録しておき、スクーター付属のバーコードにかざすだけで利用できる。4日目にしてやや疲れ始めていた我々は藁を掴むようにこの電動スクーター・Lime(サービス名)に飛びついた。スクーターは街の至る道端にばらまかれており、おのがじし好きなマシンに乗って好きなロケーションに乗り捨てる仕組みとなっていた。

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Lime・マイフレンド

  この電動スクータービジネスだが、日本では今のところ到底実現が不可であるという。日本でこのような乗り物をブイブイ言わすには、ウィンカーやナンバープレートなどの設置が必要であるらしく、簡単にいえば手間になるからだ。すなわち原動機付自転車と同様の扱いをされるということらしい。

 昨晩の食べ残しのピザを昼食として食べ体力を少し回復した。ジャンケンで負けたI君がレンジを借りに行った先で冷えピザを温めてくれたのは偶然にも日本人のスタッフだったようだ。ありがとうございました。

 ケルン観光のメイン、ケルン大聖堂の見物には2時間を要した。ここまで大きく、歴史的価値のある、一つの芸術品として評価するにも申し分ない人工建築物が街の中心部に居座っているという壮観は、日本ではなかなかお目にかかれない。中にも入ることができた。

真正面から 一種の圧迫を感じる

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[正面からみて右奥] からの写真

  2本の高い塔があるのが見て取れるが、徒歩で登ることができる。何段あるのかわからないらせん階段を何分か登り続けて、登頂。せっかく頑張ったので、写真も載せておく。ちなみに、下山後のストアで買ったトートバック(€2くらい)は現在も愛用している。

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中央はライン川

  Limeを使って街をぐるぐる巡ったり夕食をたべたりしたのち、翌日のフランス・モン=サン=ミッシェル(長いので以下"モ=サ=ミ")行きの列車のチケットを購入しようとケルン中央駅を訪れた。しかし事件はまた起こった。

 初めて訪れる地で乗る長距離列車の予約を前々からとっていなかった当時の我々の思考はまたしてもよく理解できない。車社会のヨーロッパだから列車はたいして混雑していないだろうと考えたのか、どうせ自由席だから切符さえあれば席を見つけて座る、なんなら立ち乗りでもしてやろうと考えたのか。いずれにせよ結果からいえばあまりにも迂闊である。翌日の列車の席は全便にわたって既に埋まっており、すべて指定席であるという、どうしようもない状況になっていた。

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1時間後に詰むとも知らずに呑気に肉食する我々 コイツはまた飲酒

 目的地付近で予約したホテルは?世界遺産の観光は?ほかの手段はないのか?相当に切羽詰まりながら2人で「あしたモ=サ=ミに居る方法」を探したが、万策尽きた。自然と会話は次の日の目的地候補についてのものへと変化していった。ルクセンブルクに行こうだのストラスブールに行こうだの、パリでの旅程を1日増やそうだの、本来の目的地に行けない代わりにさらに楽しんでやろうという気概があった。無理やり気概を立ち起こした。2日でぐちゃぐちゃになった我が荷物たちも床から応援してくれているよ。

 しかし突破口は突然現れる。翌日のチェックアウトに向けておもむろに荷物の整理をしていた21時ごろ、I君がケルン郊外のケルン・ボン空港からパリへ向かうバスに空きがあることを発見する。AM1時25分発。空きがちょうど2席だったので、誰かがキャンセルして検索結果に現れるようになったのかは知らないが、これは何かしらの神格からのお告げに違いない、と乗車をたちまち決定した。パリからモ=サ=ミへのバスはまだいくつか空きがあったため、文字通りルートが開けたことになる。我々は学習する動物であるから、モ=サ=ミから以降の観光地であるパリへの列車をこの段階で調査しておいて(確かに残席のこり僅かであった)、わかりやすい英語をしゃべる宿主に今から出発してしまうと伝え、ケルン・ボン空港へ向かった。

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生命線となったケルン・ボン空港行きの切符

 ほぼ終電なのに間違えた電車に乗ってしまうなどというアクシデントはあったが、当時の我々には些細であった。待っている客は多い。何やらほかにも日本人がいるようだった。20-30分遅れでやってきたパリ行きのバスに乗車し、日中の観光に備えてイヤホンを耳にあてがい目を閉じた。

 つづきの中編:https://flu-nqq.hateblo.jp/entry/20201001/1601537380